この物語はフィクションであるかもしれませんし、そうでないかもしれません。
また、一部がフィクションであるかもしれません。
唯一つ、この物語について言えることは、この物語は世界の調和に基づいて書き上げたものであり、
その真理についてはこの世界での真理であるということです。
予備知識 †
物語の中に、幾つか出てくる難しい言葉が有ります。それをここで簡単に解説します。
導体波 †
導体波とは簡単にいえば「エネルギー」です。
全てが波動で構成された世界では、光も熱も、魔法の力も引力も全てエネルギーであり、導体波です。
定常波 †
定常波とは少し難しく「そこに在り続ける力」です。
例えば鉛筆が鉛筆で在り続ける為には、相当な「力」が必要です。
それは、この大きな世界の中で、鉛筆という存在を維持する為にそこに集まっている波動成分であります。
物理学をかじっている方なら、「原子の集合体」と言えば分かりやすいかもしれません。
この世界では原子もまた波動の集合体ですから、原子がここに留まっているということは、
それだけの数の波動が留まっているという事です。
定常波とは即ち「存在」の事であり、それは「自我」でもあり「意志」でもあります。
(自我や意志は後に説明しますので、理解不能でも大丈夫です)
世界の法則はとても理解しにくい法則です。
まずは宇宙の法則から進めていった方が、まだ身近に感じられるかもしれません。
ここでは定義だけしておきます。
この物語でいう「世界」とは、宇宙を含む大きな枠のことです。
すなわち
世界 > 宇宙 > 星団 > 恒星系 > 惑星 > 地域 > 個体
という形で表現しています。
宇宙の法則 †
この宇宙は波動で構成されています。
およそビックバンと呼ばれる類の「この」世界の覚醒たる事象は、
たった一つの原子核エクサピーコ(EXA_PICO)によってもたらされました。
そのエクサピーコが大いなる意志を以て紡ぎだしたものがこの「宇宙」といわれる空間です。
宇宙に存在する様々な星や星雲、そして形のない力の存在(ブラックホールなど)は
全てこのエクサピーコが最初にあります。
そして、そのエクサピーコによる広がりと創造は全て、ソル・シエール(物語の舞台となる地域)の言葉で言えば
「エクサピーコが詩を紡ぐ事で作られて」います。
エクサピーコは原子核の集合体であると言いました。
その原子核は幾つもの波動(定常波)によって構成されています。
それは、メジャーな波動であるH波、D波を含める、おびただしい種類の波動(定常波)です。
ソル・シエールでは、D波の解明は進んでいましたから、
このエクサピーコのD波周波数成分の分解を、簡単に行い、成分を見ることが出来ます。
すると、D波1Hz~1.16x10^8に渡り数え切れないほどの周波数成分が、思い思いの強さで出てきます
(グラフィックイコライザーのようなものを想像するとわかりやすいです)。
D波波動だけで既に数え切れないほどの波動で構成されているにもかかわらず、
それと同じくらい様々な波動が、様々な次元に向けて放射されています。
そのうちの1つがH波であり、その他の1つが見知らぬ波動の1つであります。
エクサピーコはそういった天文学的種類の波動を、
時間という概念では計測できない程の短い時間内で、猛烈に変動させています。
すると、その短い時間事にバランスを失った波動の力(歪み)が外に放射されることになり、
波動科学でもおなじみの「導体波」が導き出されます。
D波、H波以外にも当然導体波は存在します。
そしてその導体波は、この世界空間を伝播していき、彼(エクサピーコ)の「宇宙」を作ります。
宇宙とは、世界の中でエクサピーコが影響を及ぼしている地域のことになります。
これらの導体波は、新たな定常波を生みます。
それはエクサピーコの産み出した導体波が、世界に広がるナム(num)の海(全波動の振幅0周波数0の空間)
に作用した結果であり、その結果、その地点のナムの海は宇宙となるのです。
一般的な波動論でも定説である「波動の干渉」によって、導体D波というエネルギーが
その地点の振幅0周波数0の空間に、振幅と周波数を与えるのです。
そしてそれが定常波という波となり、そこに居続けるようになります。
その作用したエネルギーがD波ならば物質(定常D波)になり、H波なら意志(定常H波)となり、
その他の波動であれば様々な「見えざる存在」になります。
実際には定常D波以外は全て見えざる存在です。
人間の目・アイボールは定常D波の特定周波数帯域のみを捉えるセンサーであり、
人間の耳・バイオマイクは、導体H波のごくごく一部(搬送波帯)を捉えるセンサーでしかありません。
そして殆どの場合、この「波動の干渉」は特定の波のみで起こることはありません。
そこに導体D波が干渉して物質が生まれた場合、その他の数多な種類の波動も同時に干渉しています。
すると、そこに新たな原子核の集合体が出来ます。
即ちエクサピーコは、新たな原子核の集合体を無限大に生み続けているのです。
それは星雲であり、ブラックホールであり、そして見えない波動エネルギーであったりします。
そしてそれは全てエクサピーコの「詩」によって産み出された物であり、
その中にH波成分が有ることからも、我々で言うところの「意志」が入っている事は明確です。
すなわちエクサピーコの「想い」そのものであるのです。
星団、恒星系の法則 †
銀河系などと言われる星の集まり、総じて銀河星団といわれるものは、
エクサピーコの放つ様々な波動によって生まれた物です。
そしてその星団にもエクサピーコと同じく、原子核の集合体が存在しています。
即ち、星団にはその星団自身の「想い」があり、それとエクサピーコの「想い」が入り交じっています。
「星団」にとって、自らの想い以外の想いは、冷たく言えば他人の想いです。
しかし、エクサピーコの想いは絶対です。なぜなら「星団の想い」とは、
エクサピーコの「想い」であり「意志」だからです。
星団はエクサピーコに内包されているため、星団側がそれを具体的に見たり感じたりすることが出来ません。
こういう力を人々は良くこう言います。「大いなる力が働いている」と。
星団の想い(とエクサピーコの想い)は、その中に沢山の星を創造します。
そしてそれ以上に莫大な数の「見えざるもの」を生みます。
それがまた新たな原子核の集合体を生み、星という意志を形成していくのです。
そして惑星です。生命の住む星です。
この「惑星」という存在が出来る頃には「大いなる力」は既に天文学的数字を遙かに超える数存在しています。
というのは、この惑星を支える意志は、エクサピーコに始まり、星雲の全波動、
星団の全波動、恒星系の全波動にも及んでいるためです。
そして一番大事なもの、即ち「この惑星の原子核の集合体」によって、惑星は存在しています。
それは惑星の意志であり、想いそのものです。
さて、ソル・シエールという地域の息づくこの星の事を、名無しでは説明しにくいので
「惑星アルシエル」と名付けます(「アルシエル」はヒュムノス語でar ciel=この世界)。
惑星アルシエルは、自らの意志でこの星の表面に生命を生みます。
物理的な言い方をすれば、「大いなる力」と「アルシエルの発する導体波の法則性」が生命を生みました。
アルシエルがそれを敢えてやったのか、どういう理屈でやったのかなどを考えるのは人間的な発想であり、
そのアルシエルの意志や想い、それを囲む「大いなる力」の想い、そして、生まれてきた命そのものの
原子核の集合体の想いなど、様々なものが働き創造された、としか伝える術はありません。
とにかくアルシエルに存在する微生物から植物、動物に至る全ての生命、
それ以前にアルシエル自身の形(山、谷、(結果的に出来る)海など)も全て、
アルシエルとそれに関わる様々な波動によって成り立っているという事です。
生命の法則 †
さて、いよいよ生命です。
人間は意志を持っています。意志とは「定常H波」の事です。
人間はボディを持っています。ボディとは「定常D波」の事です。
D波を持たないH波だけの存在も、我々の隣にいます。
我々はこれらを霊と言ったりするのが一般的です。
さて、人間は「目」で世界を捉えようとします。
「目」は人間にとって世界と自分を繋ぐ為の一番頼りになる器官であり、それ故人は目に頼り切りになります。
しかし、先にもお伝えしたように「目」とは「定常D波のごく一部を認識出来るセンサー」でしかないのです。
話は変わりますが、意志について良くこういう議論があります。
「意志を持っているのはどこまでか」、もっと簡単に言えば「どこまでが生命と呼べるのか」です。
一般論では「動物」「植物」は生命ですが、「石」は生命ではありません。
しかし、「動物」は意志を持っているが「植物」は意志がないと言われています。
これは「目で見た結論」でしかありません。目で見ると、植物には意志がないように見えるだけです。
では、どこまで意志は存在するのか。
最初から読んでいればわかりますが、この世界全体が「意志」を持っており、
見えるものは勿論、見えないものなども含めて全ての存在には「意志」があり「想い」があります。
単に動物は自由に動いているだけであり、
植物は自由に動けないが、目に見えて変化出来る物質を持っているだけであり、
石は動けないように見えるだけです。
原子核の集合体と物体、エネルギー †
原子核の集合体は、自分が作用することが出来る力の中に、自分が作用することが出来る「何か」を産み出します。
それは「波動の干渉」によるもので、それによってエクサピーコは星や見えないものを生み、
結果的にナムの海に宇宙を創造しました。
それは星団も惑星も同じです。
星団には星団の波動伝達の範囲が存在し、その中に星々を生みます。
惑星にも波動伝達の範囲があり、その中で様々なものを生みます。
目に見える導体D波分としては、大気や雲、水分、そして「数多のいのち」です。
特に「いのち」は、導体D波と導体H波が主成分となり、他の数多くの波動も組み合わさって産み出された、
高レベルの波動干渉の産物なのです。
すなわち大小強弱の差こそあれ、基本的にはエクサピーコから人類まで、同じように波動を出し、
周囲に影響を与え「波動の干渉」を起こし、新たな「何か」を生む力を持っているのです。
では、人間はどうだろう…という事なのですが、人間ももちろん出来ます。
現に身体を生み出しています。
身体の外側にも様々な波動を出していますが、その有効範囲はとても小さいのです。
惑星の生む大気や雲などは分厚い層のように見えますが、惑星全体からその厚みを見れば、
それが紙のように薄い膜でしかない事がわかります。
しかし惑星は、その「惑星」という定常D波を、自らの原子核の集合体をもって生み出しています。
そしてエクサピーコが、自らの生み出した星団から人間、それより小さな存在に至るまでを影響している
「大いなる力」という現象は、人間自身も行っています。
人間は自らの身体である細胞の集合体、様々な器官の集合体を支配しています。
細胞単体は自らを代謝させながら生命活動を続けていますが、
それが誰によってコントロールされ、そして増殖し維持しているかなどわかりません。
ただひたすら自らの意志で増殖していると思っているであろう細胞は、
実は人間という個体の意志によって調整され、腕や指や内臓などの形を維持し続けながら
増殖、停止を繰り返しています。
このように、人間もまたエクサピーコの相似形です。
それもそのはず、人間個人の原子核の集合体は、エクサピーコと同じ理屈の「いのち」だからです。
では、エクサピーコと人間とでは、どうしてここまでも影響範囲や出来ることが違うのでしょうか?
再三お話ししているように、波動の干渉は必ずしも全ての種類の波動が影響していません。
即ち、エクサピーコが1パスで作りだした星団が持つ波動の種類数と、
惑星が作りだした人間が持つ波動の種類数では、数桁違うという事なのです。
即ち、それだけエネルギーが低いという事。
エクサピーコから始まる波動の干渉は、新たな原子核の集合体を生みますが、
その原子核の集合体の生む次の原子核は、その親の範囲内の波動成分で構成された物しか生み出せません。
そしてそのエネルギー量(波動の振幅量)も徐々に小さくなっていきますから、
だんだんと外に向けて影響できる範囲は小さくなります。
そして人間は目で物事を判断しますから、「エクサピーコは沢山の浮遊物(星団や星)を産み出しているのに、
人間は自分の皮膚の数ミリ上にも、砂粒一つ産み出したり浮かしたり出来ないじゃないか」という話になってしまいます。
しかし、惑星が大気を生み雲を生んでいるように、人間も身体より外側に様々なものを生んでいます。
五感で認識できるだけでも、体温、汗、水蒸気など、目に見えないものでは、意識や「気」といったものを作用させています。
ただその影響範囲が違うだけなのです。
(そもそも身体の外側、内側、という概念が既に定常D波の世界でしか物事を見ていないという事であり、
視覚文化の象徴と言わざるを得ません。人間の原子核の集合体は、最大縦200cmくらいの間に定常D波を生むという、
すさまじく強大なエネルギーを発しているわけで、その中に、これまた数え切れない数の原子核の集合体を生み、
そして影響支配いるのですから)
そしてそれ以上に、人間は自ら「もの」を産み出す事が出来ます。
その産み出された「もの」は、その人間の原子核の集合体(と「大いなる力」)が産み出したもので、
エクサピーコと星団との関係と何の違いもありません。
惑星ラシェーラの意志?「声」という存在 †
人間の原子核の集合体は約2m程度の影響範囲を持ち、自らの周りに定常D波を作用させるという大業を行っています。
しかし、人間はそれだけでなく、突発的な機能までをも持ち備えていました。
それが「声を発する」という事です。
声とは定常D波を変化させて、導体H波を産み出すものです。
定常H波は「意志」であると言いました。
即ち声を出せるという事は、人間や動物は、瞬間的に自分の原子核の影響範囲を、
(H波成分に限り)最大数百mにも拡大できるのです。
人間にとってこの「声」というものは、他のどの器官ともちがう、特別なものです。
例えば、口を開けると物体がゴロゴロ出てくるのなら、人間は定常D波を発生させることが出来た、
という事になりますが、そうではなかったのです。
また、目からビームが打てたのなら、別の導体波を生み出せていたのでしょうが、そうでもなかったのです。
生み出せたのは「導体H波」でした。そしてそれは「声」でした。
更に、そのうちの20000Hzまでの波動を人間の意志は認識出来たのです。
このセンサーは「耳」の事ですが、これは自らの発した導体H波を確認するためのチェックサムとして用意された器官となります。
その目的を考えれば、20000Hzまで、すなわち搬送波帯だけが聞こえれば良かったのでしょう。
H波とは †
定常H波とは「意志」です。そして導体H波とは、一言で言えば「想い」です。
人間の原子核の集合体には定常H波がありますから、意志が有るということです。
意志とは人間の観念では「考えたり行動したりするための何か」として考えられています。
しかし、この世界で「意志」とは、物質や、その他様々なエネルギーと同じで、「エネルギーの1つ」です。
(敢えてここまで言いませんでしたが、物質もエネルギーですよ。
ただ「見て触れられる」だけです。触覚、視覚の両方とも、自らの定常D波と物体の定常D波が干渉し合って、
エネルギー衝突を起こしているだけなのです)。
ここで、ここまでしっかり読んできた方はこう思うでしょう。
「定常H波が意志なら、エクサピーコからH波が影響しないで出来た原子核の集合体には、
意志がないという事になる。そういう原子核はそこから先、意志を持った原子核を生めないじゃん!」
定常H波は、人間が捉えうる「意志」でしかありません。
その本質は、とある次元界に存在作用する1つの波動形態です。
乱暴なくらい簡単に言ってしまうと、どこか遠くの「何か」は、もしかしたら別の定常波を
意志(と同じようなニュアンスの波動)として捉えているかもしれません。
実際、様々な次元の同時間同座標に同時存在する波動の集合(=原子核の集合体)は、
最初にお伝えした原理である「極微小時間単位での「定常波振幅と周波数の変位」による
誤差が生む歪み」によって外界に影響しているだけであり、それ以上でもそれ以下でも無いのです。
人々がたまたま「意志」と言っている神秘的な思考能力も、全てはこの「波動の歪みと影響の産物」なのです。
そして人間は、たまたまその歪みの影響によって、楽しくなったり悲しくなったり怒ったりする…という感情を持ち、
自らの定常H波の特性が行動パターンとなり、それを変換する何かによって定常D波を動かしている、
ただそれだけの波動の集合体に過ぎないのです。
導体H波 †
さて、だんだん電波領域(神の領域でも暴走でも何でも構いませんが)に入ってきましたが、
いよいよ「意思の伝達」と「想い」についてです。
人間の声は、導体H波を発生させることができます。
人間の声に含まれる導体H波は、だいたい800Hz程度~無限大Hzまでです。
そして、低周波の搬送波帯から極超高周波の周波数帯に至るまで、その全てを自らの心でコントロールできます。
しかし高周波数帯ほど、その想いの強さ(振幅量)は極端に必要になってきます。
ここから少し、高校物理の時間に入ります。50Hzの音波と15000Hzの音波を
同じだけのエネルギーをかけて(=同じ振幅量で)再生したとします。
15000Hzの音が壁や床をビリビリ振動させるだけのエネルギーを加えたとき、
それと同じ量のエネルギーを加えた50Hzの音波は、既に爆弾並の影響力を周りに与えます。
「想いの波動」と言われる、数万Hz以上の波動に対しても同じで、
高周波の想いを伝えるには、もの凄いエネルギーが必要です。
それは、人間的にわかりやすく言えば「一途な想い」であったり
「我がふり構わず行動してしまうような想い」であったりするわけです。
それでは、そういう想いを持った人の発する言葉と、単に朗読して同じセリフを読んだだけの言葉では、
どれ程に違うものになるでしょうか?
言葉として認識される意味は同様ですが、前者はきっと人のこころを動かすでしょう。
後者はあまり動かさないか、全く作用しないでしょう。
導体H波のスペクトルを取ると、そのエネルギー量は雲泥の差ほどもあります。
前者の「想いを込めた言葉」に載った導体H波は、そのエネルギーの強さから
周囲の有効範囲内にいる人の持つ原子核の集合体、その定常H波にもの凄いエネルギーでぶち当たります。
そしてここで「波動の干渉」が起こります。
一般的な言い方をすれば「心が動かされる」わけです。
これが導体H波の力です。
人間は「目」で見て違いを確かめます。
しかし、たまにその観念を逸脱した言葉を発することがあることを、皆さんお気づきでしょうか。
例えば、昨日まで居眠りばかりだった学生が突然真面目に勉強し出したり、
昨日まで誰にも冷たく当たっていた人が、今日は人助けをしていたのなら、きっとこう言うでしょう。
「あの人、何か変わったよね」と。
そこまで著しい違いが無くても、昨日までボーッとしてた人が活き活きとした顔をして現れただけでもこう言います。
「何か変わったよね」。
物理的(定常D波的)には何の変化もないのに、変わったと言います。
しかし確かにメタモルフォーゼに近いクラスの変化が有るのです。
その変化はどこにあるのかと言えば、定常H波にあるのです。
定常H波は、声以外にも様々なものにあります。
ここまで読まれたらお分かりですよね。
本にも絵にも、音楽にも原子核の集合体があります。
その原子核の集合体は、それを作った人達の波動が干渉して作られた定常H波によって構成されているのです。
その想いの干渉を受け、時に人は自らの定常H波を変化させます。心の変化です。
余談ですが、電化製品や農機具などにも定常H波があります。
それを作った人の想いや、関わった人全ての想いが、その製品の定常H波を作ります。
掃除機が些細な場所に引っかかってムカつく事って有りませんか?
あまりに使いにくいから、新しいのを買った…そしたらどこでもスイスイ行けて、
シアワセな気持ちになったことは有りませんか?
作用してますよね?導体H波が、貴方の定常H波に。
でも、なんだかんだ言っても、一番導体H波を発生させるのは人間です。
製作物は人間が作用して作りだした原子核の集合体ですから、
当然自分が直接自分の身体で発生させるほどのエネルギー(=波動振幅量)は持っていません。
人間の行動そのもの、そして声は、周りに大変な影響を与えるのです。
この世界には様々な「次元」が存在しています。
D波の次元(目が捉える次元ですね)とH波の次元(心が捉える次元ですね)は別の次元です。
(ここで言う「次元」は、「クオリア次元論」の次元とはまた別の次元のことです。「波動レイヤー」と言った方がいいかもしれません)
「んなアホな!」と思われるかも知れませんが、「想い」が科学的に解明されていない以上、
同じ次元である保証もありません。科学的な考え方ですよね?
それぞれの独立した次元は、その「仲介をする役目を持った原子核の集合体」によって相互に作用するわけです。
その「仲介する役目を持った原子核の集合体」とは例えば何なのか。実は身近には有りません。
敢えて言うなら「人間」です。完全ではありませんが。
人間は「想い」を「物体」にしようとしますよね。
即ち、人間の原子核の集合体は、H波をD波に変換しようとする法則を持って行動しています。
ところが不完全なので「生めません」。
ですから人間は、惑星や他の物体の力を借りて、時にはその本来の原子核の想いを曲げて、
自らの想いを封入することで「加工」します。それが人間が「物を創る」と言っている行為です。
決してそれは創造ではありません。代替行為です。
人間の原子核の集合体は、悲しいかな導体D波を発することが出来ない故に、
その本来プログラムされた法則に矛盾が生じ、他を変化させることで代替します。
そう、導体H波を発することは出来るから、お互い心を動かすことは出来たり
物や場所に「想い」を詰める事は出来るけど、物質は生めないのです。
ああ、「声」が導体D波を産み出すものなら、今人間は喋るだけでポコポコ物質を生めたのにね。残念でした。
しかし「そう考えられる」という事は、それは「この世界に在りゆるもの」という事を意味します。
具体的に言えば「声」の代わりに「導体D波」を発することが出来る原子核の集合体がある、という事です。
それが、「ジェノム」です。
ジェノムの説明は、分かり易さを主とする為に、やや略式で説明しています。
通常「ジェノムは人間の声帯を借りて謳う」と解説していますが、正しくは
「人間の声帯(~20000Hz)と想い(20001Hz~)が発するH波帯域をジェノムが共感することで、
ジェノムは身体(正確には励振器官)を振るわせ導体D波を発生させる」のです。
想い(H波)を受け取り、身体の振動によってD波に変換するわけです。
詩魔法 †
人間の「声」という特性とジェノムの「励振」という特性は、上手い具合に組み合わさり、面白いほどにこの世界に変化をもたらしました。
人間がラシェーラに生息し始めてからずっと、試行錯誤しても自らの「目的」を果たせずに、しばらくは「加工」を繰り返していた。
そこへ現れたジェノム、そして同調とその効果の発見。
これは、人間が火を発見したのと同じくらい、ラシェーラ人類史にとって重大な出来事だったのではないでしょうか。
とにかく、人々はジェノムとの共存を果たしました。
人々は導体H波を発するのに「声」を使っていましたが、そのうちその中でも最も効率がいいのは「詩」であるという結論になりました。
なぜなら、詩というものは想いの集合体であり、更には時間を掛けてじっくりと進行していくため、
ひたすら叫んだり喋ったりしているだけよりも、長時間にわたり導体H波が安定して放出されるためです。
しかし悲しいかな人間はすぐに想いが揺らぎます。
導体H波の制御を顕在意識で行うことは苦手…というより、正直な所不可能だったからです。
例えば、真剣に謳っている最中に叩かれたら、その瞬間に導体H波は恐ろしいほどに変化します。
ちょっとした揺れや、外部からの影響が有るだけで人間はその想いがめまぐるしく変化してしまうのです。
こうなってくると、受け取り側のジェノムもなかなか思うように導体D波を出せません。
人々はこの「心の揺らぎ」と、「ジェノムへの伝達効率の悪さ」について、長い時間をかけて研究してきました。
そしてその後、完全同調と一心同体、果ては唯我という状態にまで到達したのです。
原子核が「謳う」こと †
原子核の集合体は「謳って」います。
それは、エクサピーコから微生物に至るまで、全て謳っています。
例えば、惑星ラシェーラは、原子核の集合体が生まれてからこのかた、一度も謳うのを止めたことはありません。
謳うというから解らないのであって、「波動の放射を止めたことがない」と言えば、現実味が湧くでしょう。
即ち、エクサピーコからの全ての原子核の集合体は、常に謳い続けています。
逆説的な言い方をすると、謳い続けていないと、自らを維持できません。
さて、詩魔法は謳い続けます。
例えば回復魔法のライフウォームは、謳っている間はずっと少女が出ていて、謳うのを止めた瞬間(実際は少し余韻がある)に消滅します。
これは、謳うのを止めるという事は、その場にレーヴァテイルが発していた導体D波が無くなる、という事になるからです。
そうするとその場は、本来照射され続けている「大いなる力と惑星ラシェーラとその仲間の発する導体D波」が支配する事になります。
いわゆる「自然の意志」です。
それによって、詩魔法によって存在していた物質は消滅します。
なぜなら、その物質(上の例ならライフウォーム)は、惑星ラシェーラの意志(導体D波)では無いからです。
人間を始めとする、惑星ラシェーラ上の全ての物質は、惑星ラシェーラの意志で存在しています。
人間がいくら形を変えても、溶かしても気化しても、それは惑星ラシェーラが生んだ導体D波であり、
惑星ラシェーラによって「赦されている」ものなのです。
しかし、レーヴァテイルが直接影響を与えている導体D波は、惑星ラシェーラの本来のものではありません。
故に、導体D波の放射が無くなれば消えるのは当然のことです。
惑星ラシェーラは、そのような波動は把握していませんから、当然見えません。
受け取りようもなければ、維持し続ける道理も無いのです。
そもそも、D波だけが激しくエネルギーを持つ空間というのは、自然界にとっては異常です。
普通は、H波を始めとする見えない幾つかの波動が、近しいエネルギー量をもってその場に存在します。
しかし、この世界は無慈悲ではありません。
要は「謳っている」間であれば、この世界の仲間入りをできるわけです。受け入れられるわけです。
そして先にも言ったとおり、例え星であれエクサピーコであれ、謳うのを止めたらその時が消えるときです。
別に冷たくされているわけではなく、これが世界の法則です。
ただ、自然界のものは沢山の原子核の集合体によって支えられています。
例えば、惑星ラシェーラは自らの太陽「ベゼル」を始めとする数多の恒星によって支えられていますが、その恒星の1つが消滅しても消えません。
確かに惑星ラシェーラは「その恒星の創りしもの」すなわちその恒星自身でもあるのですが、
他の恒星自身でもあるわけで、その意志があるから存在し続けられるのです。
小さいところでは、人間の加工した物質もそうです。
掃除機が消えないのは、作り手や人間以外の意志が相当数存在しているからです。
そして何より、惑星ラシェーラが、作り手の人間以上の愛をもって、その掃除機を護っているからです。
(でも、惑星ラシェーラにはそれが「そうじ機」である必要はありませんから、どんどん風化して壊れますが)
ところが詩魔法には愛も波動成分も少ないのです。
いや、たった一人のレーヴァテイルに支えられているだけなのです。
詩魔法によって創られた物質は、その他の愛を受け取れません。
だから、創造主であるレーヴァテイルが謳うのを止めた瞬間に、自身の存在意義が消えるのです。
とても儚い命なのです。
D波の衝突 †
波の密度や周波数成分は「衝突」を起こします。
D波では、それは触覚という形で知覚できます。また、物体が衝突して壊れたりするのを見ることでも認識できます。
D波のみならず、全ての次元の波動において、この現象は存在します。
(余談ですが、H波もバッチリ衝突します。それは一言で言えば「拒絶」です。わかります?変化が訪れたとき、誰も最初は拒絶しますよね)
基本的に、目や触覚などが世界のすべてである人間は、定常D波の情報さえ自ら住むのに適していれば「快適な環境」として認識します。
最初に戻ります。世界の法則です。
エクサピーコと人間の原子核の集合体は同じです。
そして人間が自らの中に細胞を創り、その全ての存在を赦しているように、世界の法則は全て同じです。
さて、最後になりますので、多分もうすんなりと受け入れられるのではないかと思います。
エクサピーコとは、惑星ラシェーラが存在する宇宙の「意志」です。
そしてエクサピーコが愛を受けている世界が、その外側にあります。
その外側の存在は、更に何かの愛によって護られています。
エクサピーコと同じくらいのレベルには、我々の宇宙の源である「ビッグバン」の原子核の集合体も存在しているかもしれません。
2006/04/15 16:00~21:00 筆記
※ジェノム項のみ、2011年筆記